1980年代の日本の女性アイドル作品から、シティポップとして楽しめる楽曲を15曲厳選。制作に携わったシティポップ周辺の作家陣を紹介しつつ聴きどころを解説します(並びはリリース順)。
- 岩崎宏美「Street Dancer」(1980年)
- 岩崎良美「ごめんねDarling」(1981年)
- 中森明菜「第七感(セッティエーム・サンス)」(1982年)
- 松本伊代「バージニア・ラプソディ」(1982年)
- 三田寛子「ピンク・シャドウ」(1982年)
- 川島なお美「哀しみのマンハッタン」(1982年)
- 松田聖子「蒼いフォトグラフ」(1983年)
- 薬師丸ひろ子「ジャンル・ダルクになれそう」(1983年)
- 菊池桃子「Ocean Side」(1984年)
- 小泉今日子「素直じゃなくって御免」(1985年)
- 中山美穂「Rising Love」(1986年)
- 荻野目洋子「Lazy Dance」(1986年)
- RA MU「東京野蛮人」(1988年)
- 南野陽子「Splash」(1988年)
- 坂上香織「ソバカスのある少女」(1989年)
岩崎宏美「Street Dancer」(1980年)
「シティポップ感覚で聴く80年代女性アイドル」の看板で岩崎宏美さんをトップバッターにするのは多少の逡巡がありました。彼女は出自としてはアイドルなのかもしれませんが、はたして存在としてアイドルと位置づけていいものなのか。それでも、シティポップのプレイリストという観点では岩崎さんをスターターとするとぐっと引き締まるのも事実なので1曲目は彼女の1980年のアルバム『Wish』より「Street Dancer」を。このアルバムは岩崎さんにとって初のLA録音。全曲の作曲を筒美京平さんが手がけています。岩崎さんは単独でも素晴らしいシティポップのプレイリストが組めるでしょう。
岩崎良美「ごめんねDarling」(1981年)
狙ったわけではありませんが2曲目は岩崎宏美さんの妹の良美さん。こちらは1981年のアルバム『心のアトリエ』収録、もろにエモーションズの「Best of My Love」を想起させるスウェイビート歌謡の傑作です。作詞/作曲を手がけているのは尾崎亜美さん。まさに尾崎さんの声が聴こえてきそうな曲ですが、実際に彼女はこの翌1982年にアルバム『Shot』でセルフカバーしています。
中森明菜「第七感(セッティエーム・サンス)」(1982年)
1982年リリースのセカンドアルバム『バリエーション/変奏曲』収録。作曲は南佳孝さん。南さんはこのアルバムでもう一曲、シンセファンクな「ヨコハマA・KU・MA」も提供しています。シティポップな中森明菜さん作品としては角松敏生さんが2曲で作曲している1985年の『Bitter and Sweet』もおすすめ。
松本伊代「バージニア・ラプソディ」(1982年)
1982年のアルバム『サムシング I・Y・O』収録。イントロは王道のAOR、ちょっとTOTOっぽい? 作曲は亀井登志夫さん。伊代さんは1989年の『プライベート・ファイル』がシンセファンク路線でそちらもおすすめ。
三田寛子「ピンク・シャドウ」(1982年)
1982年のシングル「色づく街」のカップリング。山下達郎さんがカバーしていることでもおなじみブレッド&バターのシティポップ名曲カバー。三田寛子さんご本人の強い希望で取り上げるに至ったそうです。
川島なお美「哀しみのマンハッタン」(1982年)
1982年のアルバム『So Long』収録。めちゃくちゃいい感じのメロウなミディアム。この曲も含め、アルバムは11曲中8曲が杉真理さんの作曲。なかでは正調ガールポップな「Ash Wednesday」がおすすめ。「想い出のストロベリー・フィールズ」なんてタイトルの曲もありますがビートルズみは希薄。
松田聖子「蒼いフォトグラフ」(1983年)
1983年のアルバム『Canary』収録。「瞳はダイアモンド」のカップリング。松田聖子さんはシティポップな切り口での選曲が意外とむずかしく、どちらかというとオールディーズ路線のガールポップに良いものが多い印象ですが、この曲に関しては純AOR風。作詞が松本隆さん、作曲が松任谷由実さん、編曲が松任谷正隆さん、という鉄壁の布陣。
薬師丸ひろ子「ジャンル・ダルクになれそう」(1983年)
1984年のアルバム『古今集』収録。薬師丸ひろ子さんも松田聖子さんと同じく基本的にシティポップ感は希薄ですが、この曲は比較的AORっぽさがあるのでは。作詞が阿木燿子さん、作曲/編曲が井上鑑さん。
菊池桃子「Ocean Side」(1984年)
林哲司さんとがっちりタッグを組んだ菊池桃子さんの初期の3枚のアルバムはアイドルのシティポップ作品としては最も出来がいいもののひとつと言っていいのでは。特に今回タイトル曲を選んだ1984年のデビューアルバム『Ocean Side』は素晴らしいですね。個人的には(アメリカ制作の編集盤『Pacific Breeze 2: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1972-1986』にピックアップされた)「Blind Curve」より「Ocean Side」の方が好みですが、海外で「Blind Curve」の方がウケるのはわかるような気がします。
小泉今日子「素直じゃなくって御免」(1985年)
1985年のアルバム『Flapper』収録。小泉今日子さんもシティポップというよりは80年代後半からのクラブミュージック路線が本領発揮かと。南佳孝さん風のリゾート感のあるシティポップですが、作曲は林哲司さん。彼がプロデュースを務めた菊池桃子さんのセカンドアルバム『Tropic of Capricorn』とほぼ同時期のリリース。
中山美穂「Rising Love」(1986年)
1986年のアルバム『Summer Breeze』の収録曲ですが初出は「JINGI・愛してもらいます」のカップリング。『Summer Breeze』は「You’re My Only Shinin’ Star」の最初のバージョンが入っていることでもおなじみ、以降続くことになる角松敏生さんとのコラボの起点になったアルバム。これぞ角松サウンドといえる傑作ですね。ふたりのタッグでは1988年の「Misty Love」もブラコン風でナイス。
荻野目洋子「Lazy Dance」(1986年)
1986年のアルバム『ラズベリーの風』収録。デビュー直前の久保田利伸さんの作曲によるアーバンファンク。言われてみれば久保田さんっぽい。荻野目洋子さんは洋楽志向が強く、この2年後の1988年にはナラダ・マイケル・ウォルデンをプロデューサーに迎えて英語詞のアルバム『Verge of Love』を制作。当時のナラダはアレサ・フランクリンやホイットニー・ヒューストンをプロデュースしてグラミー賞を獲りまくっていた絶頂期でした。
RA MU「東京野蛮人」(1988年)
RA MUはフュージョンバンドのプリズムに参加していた松浦義和さんと菊池桃子さんが中心になって結成。「愛は心の仕事です」が人気ですが、今回はベッド・インの中尊寺まいさんがカバーしていた1988年のシングル「TOKYO野蛮人」を選曲。「Blind Curve」の路線を推し進めた印象のブラコン/シンセファンク。「TOKYO野蛮人」のシングルはかまやつひろしさんが楽曲提供したカップリングの「Silent Summer Sea」もおすすめ。
南野陽子「Splash」(1988年)
1988年のアルバム『Global』収録。レコーディングがニューヨークとバハマということでリゾート色が強い内容。この曲もそのうちのひとつ。これもまた南佳孝さんが得意としているようなサンバ調のシティポップ。作曲はSHOGUNの大谷和夫さん。
坂上香織「ソバカスのある少女」(1989年)
1989年のアルバム『夏休み』収録。これは松本隆さん作詞、鈴木茂さん作曲によるティン・パン・アレーの名曲カバー。このへんの選曲のディレクションをどなたがやったのかは気になるところ。坂上香織さんは同じアルバムではっぴいえんどの「風をあつめて」もカバーしています。