【BTS】SUGA / Agust D『D-DAY』解説〜別人格を通して向き合う過去のトラウマ

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BTSのラップライン(ラップ担当)のひとり、SUGAの別名義である「Agust D」のコンセプトを踏まえつつ2023年4月21日にリリースしたソロアルバム『D-DAY』を解説します。

Agust D「Daechwita」の衝撃

自分も含めて「Dynamite」でBTSに沼落ちしたという方は多いと思いますが、その「Dynamite」の直前にはAgust Dの2作目のミックステープ『D-2』がリリースされています。「Dynamite」のリリースが2020年8月21日、『D-2』はその3ヶ月前の5月22日でした。

そんなこともあってYouTubeで「Dynamite」のミュージックビデオや関連動画を見ているとサジェストで『D-2』からのシングル曲「Daechwita」のMVが頻繁に上がってくるわけですが、実際にこれを再生したときの衝撃はすさまじいものがありました。

Agust D '대취타' MV

韓国の宮殿を舞台にふたりのSUGAが対峙する時空を超えたストーリー、ヒップホップのトラップビートに韓国の伝統的な軍楽「大吹打」を取り入れたアグレッシヴなサウンド、そして「Dynamite」のMVでは微塵も感じられなかったAgust DとしてのSUGAがまとう殺気と緊張感。そのハードな世界観に圧倒されて、まだイメージが固まりきっていなかったBTSのメンバーの中でもSUGAに関してはごく初期の段階で見る目が変わってしまったようなところがあります。

SUGAにはBTSのメンバーであるSUGA、ヒップホップアーティストのAgust D、そしてプロデューサーの「by SUGA」、計3つのアイデンティティーがあります。

Agust Dとしては、これまでに2作のミックステープ『Agust D』(2016年)と『D-2』(2020年)を発表。「by SUGA」としてはBTS関連作のほか、ラップライン3人もリスペクトする韓国ヒップホップ界の重鎮EPIK HIGH「Eternal Sunshine」(2019年)、BTS「Boy with Luv」で共演したHalsey「Suga’s Interlude」(2019年)、韓国の国民的歌手IU「Eight」(2020年)、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEのØMIこと登坂広臣「You」(2021年)、「Gangnam Style」(2012年)のヒットでおなじみPSY「That That」(2022年)など、多数の楽曲に関与してきました。

PSY - 'That That (prod. & feat. SUGA of BTS)' MV

個人的な印象として、「by SUGA」と「SUGA」はモードの違い、一方の「Agust D」と「SUGA」についてはキャラクターに違いがあると考えています。

SUGAの別人格「Agust D」

SUGAにとってのAgust Dのように、オルターエゴ(別人格)を創造することで自らの内面を深く掘り下げていく手法は数多くのラッパーが試みている定番的なスタイルと言えるでしょう。

よく知られているものとしてはBTSと共演経験もあるNicki MInajの「Roman Zolanski」、映画『8 Mile』でおなじみEminemの「Slim Shady」がありますが、まさにSUGAはEminemに触発されて別人格のコンセプトを取り入れたそうです(ちなみにSUGAが初めて購入したCDはEminemとのこと)。

Eminem - The Real Slim Shady (Official Video - Clean Version)

そのEminemがそうであるように、SUGAもまたAgust Dというオルターエゴを通して社会への怒りやアイドルとして活動することの苦悩、鬱病や強迫症を患っていた過去のトラウマをラップしています。そんなこともあって、Agust DのラップはSUGAと比較して明らかに攻撃的です。

本人もAgust Dでは「自分が言いたいことをありのままに話す」と説明していますが、そもそもAgust DはSUGAの出身地である大邱(Daegu Town)の頭文字「DT」と「SUGA」を合わせて反対から読んだネーミングからしてSUGAと対峙するキャラクターとして生み出されたこと、SUGAよりも自身の出自や生い立ちに根差したキャラクターであることを示唆しているように思えます。

こうしたAgust Dの役割は、自らの過去と向き合った『Agust D』収録の「The Last」にわかりやすく打ち出されています(そしてここで扱われているテーマは、『D-DAY』収録の「AMYGDALA」へと受け継がれていくことになります)。

映画『スカーフェイス』とヒップホップ

Agust Dのキャラクターやコンセプトを知る上で重要な鍵になるのが、ミックステープ『Agust D』の収録曲「Tony Montana」です。これはマフィア映画/ギャング映画の古典、ブライアン・デ・パルマ監督の『スカーフェイス』(1983年)でアル・パチーノが演じる主人公の役名からとられたもの。

Tony Montana (Feat. Yankie)

『スカーフェイス』はアメリカのラッパー、特にギャングスタラッパーの間ではバイブル化していますが、そんななかにあって主人公のトニー・モンタナは言わばラッパーたちにとってのアイコン的存在。ラップの歌詞で最も引用されている架空のキャラクターと言ってもいいかもしれません。

Scarface | Push It to the Limit

映画『スカーフェイス』がヒップホップに及ぼした具体的な影響を挙げていくと、それこそ「Scarface」を名乗る大御所ラッパーがいるほどですが、ヒップホップ史上最高のラッパーのひとりとして名高いNASの名曲「The World Is Yours」(1994年)のタイトルが劇中でたびたび登場するキーワードからの引用だったり、ドリルミュージックを象徴するChief Keefの出世作「Love Sosa」(2012年)がトニー・モンタナのボスであるアレハンドロ・ソーサから拝借したものだったり、新旧含めて枚挙にいとまがありません。

また、2011年には現行ヒップホップを代表する人気ラッパーのFutureがSUGAに先駆けて「Tony Montana」なるヒット曲を放ちました(Futureはオートチューンを使って加工した声でメロディアスなラップをするスタイルで知られていますが、Agust Dの「Tony Montana」も彼と同じスタイルを披露しています)。

Future - Tony Montana (Explicit Video Version)

このように『スカーフェイス』やトニー・モンタナに自分を重ね合わせたラッパー、劇中の登場人物やセリフを歌詞に使ったラッパーは数え切れないぐらい存在します。

『スカーフェイス』が世代を超えてラッパーたちから支持され続けている背景としては、おそらくキューバからアメリカに逃れてきて裏社会で成り上がっていくトニーの生きざまが苦しい環境に置かれてきた多くのラッパーたちを惹きつけているのでしょう。

このように『スカーフェイス』の引用はギャングスタラップの王道中の王道。オルターエゴを使う手法にしても『スカーフェイス』のオマージュにしても、SUGAのアプローチはアメリカのラッパーのごくベーシックなスタイルを踏襲していると言ってもいいと思います。

実は、Agust Dの最初のミックステープ『Agust D』のジャケットの向かって右側に書いてあるフレーズ「You need people like me. You need people like me so you can point your fingers and say“That’s the bad guy.”」(お前らには俺みたいな奴が必要なんだ。「あれが悪党だ」と言うためさ)も『スカーフェイス』劇中のトニー・モンタナのセリフの引用だったりします。

これはトニーが「俺はいつだって本当のことしか言わない」と豪語する名場面の前振りになるセリフですが、あえてジャケットに掲げたのはAgust Dとして「自分が言いたいことをありのままに話す」ことの宣言、あるいは当時のSUGAの大きな怒りのひとつだったBTSのヘイターたちに向けた言葉とも受け取れます。

Agust D '해금' Official MV

また、「スカーフェイス」は「傷のある顔」という意味になりますが、「Daechwita」や新作『D-DAY』からのシングル「Haegeum」のMVのAgust Dの顔にある傷は、どうしたってトニー・モンタナの眉から頬にかけての傷とオーバーラップします。こうした数々の要素から考えて、Agust Dのキャラクター形成に『スカーフェイス』が及ぼした影響は少なくないでしょう。「Haegeum」のMVは基本的には映画『オールド・ボーイ』(2003年)に代表される韓国ノワール風ですがが、『スカーフェイス』から着想を得たと思われるシーンも散見できます。

Agust Dの音楽性

Agust Dのキャラクターがアメリカのラッパーの王道的なスタイルを踏襲しているように、Agust D作品では音楽的にも現行のアメリカのトレンドを踏まえたヒップホップサウンドを打ち出してくることが多い印象があります。

彼の楽曲ではトラップやエモラップ(インディーロックから影響を受けた内省的なラップのスタイル。鬱や薬物を題材にしたものが多い)、さらにはドリル(トラップから派生。主にギャングの抗争など暴力がテーマ。凶暴な重低音が特徴)なども積極的に導入されていますが、このあたりの嗜好は比較的オーセンティックなヒップホップに愛着を抱いているラップラインの他のふたり、j-hopeやRMと対照的です。

[슈취타] EP.9 RM with Agust D

SUGAは自らMCを務めるトーク番組『SUCHWITA』の4月24日配信回(「RM with Agust D」としてRMがホストを担当したスペシャル回)でも「今回の新作でドリルは絶対にやりたかった」と話していたように(j-hopeが客演した「HUH?」で実現)、プロデューサー「by SUGA」としても活動する彼は常にヒップホップの新しい音に敏感でありたいという意識がj-hopeやRMよりも強いのかもしれません。

ちなみに「by SUGA」で作業する際の彼は相手の音楽性を踏まえて臨機応変に対応しつつも比較的ポップなサウンドを披露しています。SUGA自身も「by SUGA」では「徹底して商業的な音楽を作る」とコメントしている通り、Agust Dとは明確な差別化が図られているのでしょう。いずれにせよ、本人の中で双方それぞれの名義の音楽的な線引きが徹底されているわけですから、SUGAが基本的に起用なプロデューサーではあることはまちがいないと思います。

Juice WRLD - Girl Of My Dreams (with Suga from BTS) [Official Audio]

SUGA(Agust D)はアメリカで人気が高い、という話を聞いたことがありますが、もしそれが事実だとするならば、彼のラッパーとしてのアティテュードや音楽性によるところが大きいのではないかと思います。SUGAは2019年に亡くなったエモラップを代表するラッパー、Juice WRLDと二度もコラボを行っていますが、現行のアメリカのラッパーたちが標榜する世界観と相性がいいのは確かなのでしょう。

ネガティヴな思考からの解放

Agust Dのアルバム『D-DAY』はミックステープ『Agust D』と『D-2』から続く三部作の完結編で、テーマに掲げているのは「解放」。タイトルは「ネガティヴな思考から解放される日」を意味しています。

本人のコメントによると「これまではトラウマと怒りのはけ口としてアルバムを作ってきましたが、今回はそれを成長した視点で整理しました。そのお陰で自分を過去のトラウマから解放することができました。いまを生きることに集中できるようになったのです」とのこと。つまりAgust Dの姿を借りたSUGAのトリロジーは(やはりEminemにとってのSlim Shadyがそうであったように)彼にとってセラピー的な要素が強かったのではないかと思います。

【BTS/SUGA】アーティストSUGAが語るソロ曲に込められた想いや葛藤|SUGAの音楽ロード・マップ|Disney+ (ディズニープラス)

「解放」というテーマを念頭に置いて三部作を順に聴いていくと、次第にSUGAとAgust Dとの境界線が曖昧になっていくことがわかるでしょう。最初のミックステープ『Agust D』では怒りや憎しみに満ちあふれ過去に執着していますが、続く『D-2』では過去と現在を行き来して自己探求的な色合いが濃くなってきます。

その象徴的な曲がSUGA自身「いまだにつらいとき聴く大切な曲」と語る、自問自答を繰り返すような内容の「People」。アルバム『D-DAY』の先行シングルがその続編の「People Pt. 2」であることを考えると、この「People」が『D-2』と『D-DAY』を結ぶ解放への橋渡しになっているのだと思います。

Agust D '사람 Pt.2 (feat. 아이유)' Official MV

SUGAはアルバムをトリロジー形式にした理由について、昔から三部作仕立ての映画が好きだったことを理由に挙げています。その例として、彼はクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』トリロジー(『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』の三部作)をピックアップしていますが、それを踏まえると『D-2』と『D-DAY』を結ぶ曲として取り上げた「People」の歌詞には『ダークナイト』(2008年)のジョーカーの名台詞「Why so serious?」が何度も出てくることに気づくでしょう。

そして『D-DAY』の「Haegeum」のMVのラストではやはり『ダークナイト』の名場面、警察から脱走したジョーカーがパトカーの窓から身を乗り出して風を浴びるシーンのリファレンスが確認できます。「二面性」が大きなテーマになっている『ダークナイト』は、きっと『スカーフェイス』と同様にAgust Dのコンセプトに少なくない影響を与えているのだと思います。

Gotham needs you | The Dark Knight [4k, HDR, IMAX]

「解放」の観点から「Haegeum」のMVを見ると、ラストはSUGAがAgust Dを葬ったと解釈すべきなのでしょうか。『ダークナイト』オマージュであるパトカーの窓から身を乗り出して風を浴びるシーンも、同様に「解放」のメタファーのように思えます。

三部作の完結、そして人生は続く

「Haegeum」のタイトルは曲の冒頭で聞こえる韓国の伝統的な弦楽器の奚琴を意味しているのに加えて「解禁」の意味もあるとのことですが、Disney+にて配信中のSUGAの密着ドキュメンタリー『SUGA: Road to D-Day』では彼が「Haegeum」にちなんでたいへん興味深いことを話しています。

「アイドルは別に犯罪行為でもないのに些細なことをするだけで批判を浴びます。こうした風潮には納得がいきません。『Haegeum』のMVには僕が煙草を吸うシーンがありますが、もう31歳になるのにそれすらも問題視されました。そういう理不尽に禁止されているものからの解放を表現したかったのです」(筆者要約)

SUGA: Road to D-DAY|予告編|BTS・SUGAの最新ソロアルバムの制作過程に密着したドキュメンタリー|Disney+ (ディズニープラス)

この「Haegeum」をはじめとするアルバム『D-DAY』の前半は従来のAgust D作品の流れを汲むようにして激しい感情がぶちまけられていきますが、再び過去のトラウマ、デビュー前のバイク事故や両親の病気と向き合うエモーショナルな「AMYGDALA」を境に中盤以降は徐々に穏やかで内省的なトーンへと移行していきます。

[EPISODE] Agust D ‘AMYGDALA’ MV & Jacket Shoot Sketch - BTS (방탄소년단)

そしてアルバムの後半、「夜明け」を意味する「Dawn」と名付けられたインタールードの次にくるのが「Snooze」。3月に亡くなった坂本龍一さんがピアノで参加したこの曲がアルバムの大団円、ひいては三部作の大団円になっています。

Snooze (feat. Ryuichi Sakamoto, 김우성 of The Rose)

それまでのネガティヴな感情が浄化される「Snooze」では苦しみを乗り越えてきた自分の経験を踏まえ、かつての自分と同じ境遇に置かれている人々に「大丈夫、きっとすべてうまくいくから」とエールを贈っています。最初のミックステープ『Agust D』の最後を飾っていた「So Far Away」の歌詞を引用していることもあり、「Snooze」は三部作の集大成にふさわしい曲に仕上がりになりました。

SUGAは以前から特に影響を受けたミュージシャンに坂本龍一さんを挙げていましたが、去年来日した際に面会が実現して今回のコラボにつながりました(この模様はドキュメンタリー『SUGA: Road to D-Day』に記録されています)。三部作のクライマックスに当たる曲で憧れの坂本さんとのコラボを実現させているあたりにSUGAの坂本さんに対する愛と敬意を強く感じます。

そしてアルバムの締めくくりでは、BTSが2020年に放った全米ナンバーワンヒット「Life Goes On」をリラックスしたバンドアレンジでリメイクしています。

BTS (방탄소년단) 'Life Goes On' Official MV

自分が考えるにアルバムのクライマックスはあくまで「Snooze」であって、最後の「Life Goes On」は映画のエンドロールに当たる位置付けの曲と捉えています(前2作のミックステープが共にインタールードの次の曲で終わっていたこともその印象を強めています)。過去に対するネガティブな感情を振り払ったSUGAが、自らの運命を受け入れて改めてBTSの一員として人生の歩を進めていく。最後の「Life Goes On」にオーバーラップしてくるのはそんなイメージでしょうか。

ともあれ、SUGAが「トラックの順番でゆっくり聴いてみると僕が伝えたいメッセージがわかると思う」と話していたことを踏まえると、徐々に内省的になっていく構成がコンセプチュアルに練られたものであるのはまちがいないでしょう。

それにしても、30分強の収録時間にしてこのドラマ、この緊張感。初回のリスニング時、エンディングの「Life Goes On」にたどり着いたときには安堵と共に軽い疲労感を覚えたほどでした。こうして約7年を費やした三部作が幕を閉じたなか、Agust Dは再び動き始めたときなにを語り出すのでしょうか。彼の今後のソロ活動に関しては、先がまったく読めません。

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