BTSのソロ活動第一弾、ラップライン(ラップ担当)のj-hopeが2022年7月15日にリリースした初のソロアルバム『Jack In The Box』を主にサウンド面から解説します。
j-hopeの音楽的バックグラウンド
本題に入る前に、まずはj-hopeの音楽的背景を簡単に整理しておきましょう。j-hopeが影響を受けたアーティストとして筆頭に挙げているのはアメリカ・ノースカロライナ州出身のラッパー、J. Cole。全米チャートのランクイン曲数歴代1位(299曲)を誇るドレイク、ラッパーとして初のピューリッツァー賞を受賞したケンドリック・ラマーと共に現行ヒップホップ界のビッグ3に数えられる実力派です。
j-hopeがどれだけJ. Coleを敬愛しているかは、BTSが2014年にリリースしたデビューアルバム『Dark & Wild』収録の「Hip Hop Phile」にわかりやすいと思います。
この曲でラップラインの3人のうちふたり、RMとj-hopeは影響を受けたラッパーやヒップホップ作品を列挙しながらヒップホップへの愛を表明していきますが、j-hopeはザ・ノトーリアスB.I.G.、2パック、Nas、マック・ミラー、カニエ・ウェスト、ケンドリック・ラマー、エイサップ・ロッキーなどの名前を挙げながらも、J. Coleに関してはあからさまに別格の扱い。彼のアルバム『Cole World: The Sideline Story』(2011年)やミックステープ『Friday Night Lights』(2010年)のタイトルを歌詞に詠み込みながら、いかに自分がJ. Coleから多大なインスピレーションを得ているかを明かしています。
これを踏まえると、j-hopeが2018年にリリースしたミックステープ『Hope World』のタイトルは当然先述した『Cole World』のリファレンスと考えていいでしょう。
BTSがデビューする直前の2013年2月にRMとジョングクのコンビで公開した「Like a Star」がJ. Coleの2007年の同名曲をサンプリングしたものであること、そしてBTSが2013年7月にデビュー1ヶ月を記念してインターネット上で公開した「Born Singer」(2022年6月発表のアンソロジーアルバム『Proof』で公式音源化)が当時世に出て間もなかったJ. Cole「Born Sinner」(2013年6月リリース)のリメイクであることを考えると、J. Coleはj-hopeのみならずBTS全体にとっても特別な存在といってもいいかもしれません。
ちなみに、RMは2015年のミックステープ『RM』においてJ. Coleの楽曲を2曲引用しています(「Monster」での「Grown Simba」と「God Rap」での「God’s Gift)。
『Lollapalooza』出演の真意
「Hip Hop Phile」の歌詞やダンス動画「Hope On The Street」での使用楽曲などから垣間見える音楽趣味からj-hopeが90年代のヒップホップに強い愛着を抱いているであろうことは理解していたつもりでしたが、その憧憬をここまでまっすぐに打ち出してくるとは思いませんでした。『Jack In The Box』からの先行シングルとして7月1日に公開された「MORE」です。
もろに1990年代初頭のオルタナティブヒップホップの流れを汲んだサウンドプロダクション。真っ先に想起したのは、ラテン系のヒップホップグループとして初めてアメリカでミリオンセールスを達成したカリフォルニアの3人組、サイプレス・ヒルの最大のヒット曲「Insane in the Brain」(1993年)。「MORE」からは彼らのダークでカオティックな世界観の影響がはっきりと聴き取れます。
もうひとつ「MORE」を聴いて連想したのは、90年代ストリートカルチャーのアイコン、ビースティ・ボーイズの「So What’cha Want」(1993年)。
彼らはハードコアパンクバンドとして音楽活動を開始したのちヒップホップグループへと転身した経緯がありますが、1980年代後半にはニューヨークからロサンゼルスに移住して新しい制作環境で活動をリスタート。この「So What’cha Want」を含むアルバム『Check Your Head』では再び楽器を手にしてヒップホップとパンク/ロックを融合したスタイルを打ち出してきました。
ハードなギターが炸裂するサビの展開など、「MORE」からはビースティが牽引した当時のオルタナティブヒップホップの熱気がほとばしってくるようです。
j-hopeは『Jack In The Box』のリリースを告知する直前の6月上旬、30年以上の歴史を誇るアメリカの老舗音楽フェス『Lollapalooza』でヘッドライナーを務めることを発表しました。手術を受けることからキャンセルになったDoja Catの代役とはいえ、これはK-POPアーティスト初の歴史的快挙。このビッグニュースには大いに興奮しましたが、「MORE」を聴くことによって彼の『Lollapalooza』出演には歴史的な意義などとはまた別の明確な音楽的意図があるように思えてきました。きっとどのフェスでもよかったわけじゃない、『Lollapalooza』のステージに立つことが重要なのだろう、と。
というのも、ジェーンズ・アディクションのペリー・ファレルが1991年に立ち上げた『Lollapalooza』は、まさにj-hopeが「MORE」でオマージュを捧げたような1990年代前半当時のオルタナティブミュージック隆盛を象徴するイベントだったからです。
実際、「MORE」のリファレンスとして紹介したビースティ・ボーイズは1994年、サイプレス・ヒルは翌1995年にヘッドライナーを務めていますが、j-hopeは『Jack In The Box』で目指す音楽像と『Lollapalooza』の成り立ちを踏まえてイベントへの出演を決意したところもあったのではないでしょうか。多大な影響を受けた90年代ヒップホップ/オルタナティブヒップホップへのトリビュートを披露する場として、これはまたとない最高の舞台。『Lollapalooza』が接続されることにより、『Jack In The Box』のプロジェクトにぐっと奥行きが生まれたのはまちがいないと思います。
『Jack In The Box』のルーツを探る
先行シングルの「MORE」で予告されていた通り、アルバム『Jack In The Box』では全編を通して1990年代前半のニューヨークを中心としたオルタナティブヒップホップ/アンダーグラウンドヒップホップの影響が強烈に打ち出されていました。
冒頭の「Pandra’s Box」から、いきなり90年代NYアンダーグラウンドヒップホップのモードに突入。1994年の『Lollapalooza』にも出演しているア・トライブ・コールド・クエストの「Buggin’ Out」(1991年)にも通じる、ダークで不穏なムードに引き込まれます。
「Stop」も「Pandra’s Box」と同様に90年代前半のNYアンダーグラウンドヒップホップを彷彿させるトラック。j-hopeのラップも90年代に流行した変則的なフロウや高速ラップを駆使したフリーキーなスタイルを意識している印象。個人的にはダス・エフェックス、リーダーズ・オブ・ザ・ニュー・スクール、オニクス、ローズ・オブ・ジ・アンダーグラウンド、フー・シュニッケンズあたりが思い浮かびましたが、こうしたラップのアプローチがまたアルバム全体の90年代感を高めているところは確実にあると思います。
「What if…」に至っては1990年代のニューヨークハードコアヒップホップを代表するグループ、ウータン・クランのメンバーで2004年に35歳で他界したオール・ダーティ・バスタードの「Shimmy Shimmy Ya」(1995年)を大胆にサンプリングしています。ODBはアクの強いラッパーが揃ったグループの中でも突出した奇人ぶりで人気を集めたラッパー。「Stop」で触れた90年代的な変則的なフロウや高速ラップを駆使したスタイルは、このODBにも当てはまるでしょう。
「Safety Zone」はL.L. Cool J「I Need Love」(1987年)やスリック・リック「Teenage Love」(1988年)などから脈々と受け継がれるメロウラップの系譜を継ぐ曲ですが、ラップのアプローチ自体はやはり90年代的。トラックからくるイメージも合わせて、リリース当時はコモン「G.O.D. (Getting One’s Definition」(1997年)と聴き比べてみたりしました。
「Future」は『Jack in the Box』のなかで最もキャッチーかつポップな曲。ラップのフロウ自体はカニエ・ウェストを思わせるところもありますが、ドタバタしたビートが実に90年代的です。
爽やかな甘酸っぱさがある曲調から連想したのは、P.M.ドーンの「Looking Through Patient Eyes」(1993年)。90年代前半当時のヒップホップシーンはハードコア志向が強くポップなP.M.ドーンは軽視されていたところもあありますが、いまも鑑賞に耐えうる素晴らしい曲も少なくありません。
アルバムを締めくくる「Arson」も90年代前半のオルタナティブラップの影響を強く感じさせる曲。「MORE」のリファレンスとして挙げたサイプレス・ヒル、「What if…」で登場したオール・ダーティ・バスタードが所属するウータン・クランなど、当時ヒップホップからクロスオーバーしてロックファンにも支持された彼らの混沌としたサウンドを彷彿させます。
アルバムを取り巻く豪華制作陣
アルバムに参加しているプロデューサーも紹介しておきましょう。BTSが所属するBig Hitの専属プロデューサーとしてPdoggが2曲、Ghstloopが1曲手掛けていますが、他はすべてアメリカのプロデューサーを起用しています。
「MORE」と「Future」を手がけるブラストラックスは、ニューヨーク出身のプロデューサーコンビ。代表作にはグラミー賞最優秀ラップパフォーマンス賞を受賞したチャンス・ザ・ラッパー「No Problems」(2016年)がありますが、ARMYの皆さんにはBTSのアルバム『Be』(2020年)収録の「Dis-ease」のプロデューサーとしておなじみでしょう。
「Stop」と「Arson」のプロデュースを務めているのは、ニュージャージー出身のクラムス・カジノ。自己名義のアルバムも出しているので今回の参加プロデューサーの中では最もよく知られている存在かもしれません。2000年代後半に盛り上がったクラウドラップ(ローファイで幻想的、ドラッギー/サイケデリックなサウンドが特徴)を代表するプロデューサーで、j-hopeがBTSの「Hip Hop Phile」でメンションしていたエイサップ・ロッキーやマック・ミラーともたびたびコラボしています。
「=(Equal Sign)」を手掛けているのはロサンゼルス出身のスクープ・デヴィル。ラティーノヒップホップのレジェンド、キッド・フロストの息子として知られています。スヌープ・ドッグに気に入られて注目を集めるようになったプロデューサーですが、決定打になったのはケンドリック・ラマーの名盤『Good Kid, Mad City』(2012年)収録の「The Recipe」と「Poetic Justice」でしょう。
特にドレイクが客演してジャネット・ジャクソン「Any Time, Any Place」(1993年)をサンプリングした「Poetic Justice」は問答無用のクラシック。クラムス・カジノといいスクープ・デヴィルといい、j-hopeは自分がリスペクトしているラッパーと仕事したプロデューサーを意図的に起用しているのかもしれません。
最後のひとりは「What If…」にクレジットされているデム・ジョインツ。ドクター・ドレーに見出されたコンプトン出身のプロデューサーです。彼はBTS「Run BTS」(2022年)を筆頭に、NCT、Red Velvet、Shineeなど、K-POP作品にも積極的に関与しているのが特徴。その他の代表プロデュース作品には、ジャネット・ジャクソン『Unbreakable』(2015年)、ドクター・ドレー『Compton』(2015年)、アンダーソン・パーク『Oxnard』(2018年)、カニエ・ウェスト『Donda』(2021年)などがあります。
初のアルバムがもたらした思わぬ収穫
7月15日にリリースされた『Jack in the Box』は、『Billbaord』アルバムチャート(いわゆる全米チャート)で初登場17位にランクイン。現地の音楽メディアでの評価も高く、老舗カルチャー誌『Rolling Stone』が選ぶ2022年度ベストアルバムランキングでは第9位に選出されています。これは全ジャンルひっくるめてのランキングで、ビヨンセ『Renaissance』(1位)、テイラー・スウィフト『Midnights』(3位)、ハリー・スタイルズ『Harry’s House』(5位)など、錚々たるラインナップと共に見事トップテン入りを果たしました。
そして、j-hopeは当初の予定通り7月31日の『Lollapalooza』シカゴ公演において堂々ヘッドライナーを務め上げました。この『Jack In The Box』の制作から『Lollapalooza』の出演に至るまでの道のりは密着ドキュメンタリー『j-hope IN THE BOX』としてまとめられ、2023年2月17日よりDisney+にて配信されています。
ドキュメンタリー『j-hope IN THE BOX』で確認することができますが、『Jack In The Box』を完成させて『Lollapalooza』出演のためシカゴに赴いたj-hopeには、とんでもないサプライズが待ち受けていました。彼がパフォーマンスする前日30日の公演でヘッドライナーを務める、憧れのJ. Coleとの邂逅です(j-hopeが『Lollapalooza』に出ることを決意したのは、Coleの出演もひとつの動機としてあったのかもしれません)。
『Lollapalooza』のステージがクライマックスと思われていた兵役履行前のj-hopeのソロ活動は、この出会いによって思いも寄らぬ展開を迎えることになります。