BTSのラップライン(ラップ担当)のひとり、j-hopeが2023年3月3日にリリースしたシングル「on the street with J. Cole」を解説します。
『Jack In The Box』のリリースを経て
本題に入る前に、まずはアルバム『Jack In The Box』リリース後のj-hopeの活動をまとめておきましょう。j-hopeは2022年7月15日にBTSのソロ展開の先陣をきってソロデビューアルバム『Jack in the Box』をリリース。同作は全米アルバムチャートで最高17位を記録したほか、シングルの「MORE」と「Arson」も100位圏内にランクインを果たしました(それぞれ82位と96位)。
そして、7月31日には30年以上続くアメリカの由緒ある音楽フェス『Lollapalooza』の最終日にヘッドライナーとして出演。韓国のアーティストがアメリカの有名音楽フェスでヘッドライナーを務めたのは史上初の快挙でした。
その後9月には韓国のシンガー、Crushの「Rush Hour」にゲスト参加(この曲も『Jack In The Box』の流れを汲む90年代オマージュなヒップホップトラックでした)。そして11月には大阪の京セラドームで開催された『Mnet Asian Music Awards 2022』出演のため来日、ステージ上から兵役に就く直前のJinに電話するうれしいサプライズもありました。
年が明けて2023年2月にはアルバム『Jack In The Box』のメイキングと『Lollapalooza』の舞台裏を追ったドキュメンタリー『j-hope IN THE BOX』をDisney+にて公開。その後ルイ・ヴィトンのアンバサダー就任発表を経て、2月26日には兵役義務の入隊手続きを始めたことを所属事務所より発表。そして直後の27日、新曲「on the street」を3月3日にリリースすることが明らかになりました。
兵役のニュースには胸が痛みましたが、j-hopeが入隊前に新曲を用意してくれたことにはうれしい驚きがありました。しかも、彼がデビュー当時からリスペクトを捧げてきたJ. Coleとの共演。ティーザー公開時、Coleが登場した瞬間に思わず声を上げてしまったARMYも少なくないでしょう。
「音楽の神」J. Cole
j-hopeはJ. Coleを「ミューズ」(音楽の神)と呼ぶほどに崇拝していますが、そもそもBTSがデビューから一ヶ月後の2013年7月にインターネット上で発表した「Born Singer」はJ. Cole「Born Sinner」(2013年)のリメイクでした。これは2022年にリリースされたアンソロジーアルバム『Proof』で初めて公式音源化されましたが、BTSにとっての決意表明とも言える大切な曲です。
そしてj-hopeがJ. Coleに対するリスペクトを強烈に打ち出したのが、BTSが2014年にリリースしたデビューアルバム『Dark & Wild』収録の「Hip Hop Phile」。この曲はBTSのメンバー、主にラップラインの3人がヒップホップカルチャーへの愛を表明していく、ある意味「ヒップホップアイドル:BTS」のアイデンティティを示す重要作です。
ここでj-hopeは自分が影響を受けた数々の偉大なラッパー、The Notorious B.I.G.、2pac、Nas、Mac Miller、Kanye West、Kendrick Lamar、A$AP Rockyなどの名前を挙げていきますが、J. Coleだけ別格の扱いとして彼のデビューアルバム『Cole World: The Sideline Story』(2011年)やミックステープ『Friday Night Lights』(2010年)のタイトルを詠み込みながら、いかにJ. Coleから音楽的インスピレーションを得ているかを表明しています。
もちろん、j-hopeが2018年にリリースしたミックステープ『Hope World』のタイトルもJ. Cole『Cole World』のリファレンスになっています。「音楽の神」として崇めるのも納得のこの徹底ぶり、j-hopeにとってのColeの存在の大きさがよくわかります。
そんなj-hopeが念願叶ってJ. Coleと出会ったのは2022年7月、共にヘッドライナーを務めた『Lollapalooza』シカゴ公演のバックヤードでした。その瞬間はドキュメンタリー『j-hope IN THE BOX』で確認できますが、ついに敬愛する「神」との邂逅を果たしたj-hopeはさっそくColeとのコラボレーションの構想を練り始めます。
「J. Coleと出会って以来、彼と一緒に音楽を作れたらどんなに素晴らしいだろうと考えるのを止められなくなりました。それで、思いきって連絡を取ってみたんです。当時すでにこの時期(2023年3月)に曲をリリースする計画があって、2022年11月上旬に制作を開始しました。曲を仕上げるのに時間がかかったぶん、とても大切にしていますし、僕にとってとても意味のある曲です」
特別な意味を持つ言葉「ストリート」
j-hopeは今回の「on the street」の制作に際して、こんなことを考えていたそうです。
「『Jack In The Box』をリリースして以来『なにが自分をここまで駆り立てたのか? なにがいまの自分を作ったのか?』、そんなことをずっと考えていました。そしてアーティストとして自分のルーツを振り返って、自分の出自を思い出すことによって前に進み、新しいことを学ぶことができると気づきました。それは、より成熟したアーティストになるためのプロセスの一部なのです」
さらにj-hopeは「on the street」について「新しいスタートを切る人、長い旅に出る人、そんな人たちに友達のように寄り添える曲」とコメント。そしてこう続けました。
「自分にとってこの曲は次のチャプターへの扉を開いてくれるもの。ファンの皆さんへのプレゼントとして新曲を披露したいと思っていました。この曲には『遠くからでも蝶になって恩返しができるように』という歌詞がありますが、曲が蝶のように羽ばたくことでひとりでも多くの人に元気や安らぎを与えられるメッセージを届けられたらと思っています」
もっとも、この曲の基盤にあるテーマはj-hopeの「これまでとこれから」です。「on the street」は、彼のキャリアと人生が非常に強く反映された曲と言っていいでしょう。ここでj-hopeは未来に目を向けながらも、自らのストリートダンサーとしての原点に立ち返って現在に至るまでの歩みを回想しています。
j-hopeはBTS(BIGHIT)に加入する以前、「スマイル・ホヤ」の名前で光州のアンダーグラウンドなダンスクルー「NEURON」に所属していましたが、「on the street」はそのタイトル自体がストリートダンサーを出自とする彼のルーツを示唆しています。j-hope自身、「ストリート」という言葉には強い思い入れがあることを認めていました。
「『ストリート』は自分にとって特別な意味を持つ言葉です。それは、自分のアーティストとしてのルーツであるストリートダンスを意味しています。自分のインスピレーションの源であり、j-hopeとして歩んできた道のりを象徴する場所。また、人生の教訓を学ぶ場所でもあります。そして、子供のころの無邪気な心、初めて出会った人との恋、喧嘩、避けられなかった別れなど、人々のリアルな人生に出会い、感じることができる場所。ストリートは人生のメタファーです。そのすべてをこの曲に込めて、人生を歩んでいる人たちに希望と勇気を伝えたいと思いました」
「on the street」のビートが示唆するもの
j-hopeは2015年から不定期でダンス動画を公開していますが、そのタイトルはずばり『Hope on the street』。Jiminをゲストに迎えた初回の配信で彼がどんな曲で踊っていたかというと、Grand Pubaの「360° (What Goes Arohnd)」(1992年)とOl’ Dirty Bastardの「Got Your Money」(1999年)。j-hopeの90年代ヒップホップに対する強い愛着がうかがえる選曲です。
今回の「on the street」はGrand Pubaの「360°」やOl’ Dirty Bastardの「Got Your Money」と同様にダンスに適したシンプルなビートが魅力ですが、曲のコンセプトを踏まえるとあえてスタンダードでダンサーフレンドリーなビートを採用したのではないかと考えています。
そもそも「on the street」で用いられているビートはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名曲「Sing a Simple Song」(1968年)から抽出したもので、これはヒップホップを中心にこれまで約500曲で引用されてきた定番中の定番。2分11秒あたりからのドラムが強調される部分がサンプリングポイントです。
「Sing a Simple Song」のビートを引用したヒップホップクラシックはたくさんありますが、j-hopeがBTSの「Hip Hop Phile」でメンションしていた2pacのヒット曲「Temptations」(1995年)はその代表作のひとつ。また、「on the street」は郷愁を誘う口笛が印象的ですが、「Sing a Simple Song」のビートに口笛を乗せた先例としてはDe La Soulの「Eye Know」(1989年)があります。この2曲は「on the street」と聴き比べてみるとおもしろいと思います。
j-hope流ローファイヒップホップ
j-hopeは「on the street」のトラック/ビートについて「ローファイヒップホップ」を引き合いに出してコメントしています。曰く「ローファイヒップホップをよく聴くので、それをj-hope流に解釈したいと思いました」。
このローファイヒップホップとは、2010年代半ばごろから盛り上がってきたヒップホップのサブジャンルのこと。音楽的には綺麗な落ち着いたトーンのピアノやギターのループにシンプルなドラムブレイクを使った、主にインストゥルメンタルの曲が多いのが特徴です。ほとんど環境音楽に近いものもある「チル」なヒップホップで、そんなことから作業用BGMとしてもたいへん重宝されています。
ローファイヒップホップのルーツとしてはJ.DillaやNujabesがパイオニアにあたりますが、さらにその起源をさかのぼるとPete Rock & C.L. SmoothやA Tribe Called Questなど、主にジャズや古いソウルミュージックをサンプリングした90年代のイーストコーストヒップホップに辿り着きます。
今回j-hopeが「on the street」のサウンドを形容するにあたってローファイヒップホップ引き合いに出してきたことで、彼のオーセンティックなビートやヒップホップに対する愛着を改めて確信しました。
j-hopeのヒップホップ趣味や「on the street」の内省的なテーマ/メッセージを踏まえると、今回ここでローファイヒップホップ的な落ち着いたサウンドに振れたのはとても納得のいくところです。これまでのj-hopeのソロ曲は彼のダンススキルを活かす狙いもあったからか、比較的「跳ねた」ビートのものが多い印象でしたが、今回は兵役履行前の最後の作品ということもあって明確にバランスをシフトしてきました。
ミュージックビデオを見ても、普段のj-hopeのシャープなダンスとはまた違った魅力が前面に出ているように思います。歌詞と関連付けていうならば、まさに蝶が舞うようなフリースタイル的な感覚に近いパフォーマンス。特にJ. Coleのラップに乗せて地下鉄のホームで踊っているシーンは、念願のコラボレーションの感慨を噛み締めながら踊っているようにも映りました。
MVに込められたJ. Coleへの愛
「on the street」のミュージックビデオは、シンプルながらも曲のテーマに沿った構成がとられています。j-hopeのダンサーとしての立脚点であるストリートから始まり、地下鉄のホーム(下積み)を経てJ. Coleが待つビルの屋上(音楽界の頂点)に上がっていく流れは、まさに彼が歩んできた道のりのメタファーなのでしょう。
さらに付け加えると、この「on the street」のMVのオープニングは同じニューヨークのロウアーマンハッタンにある路地「コートランドアリー」で撮影したJ. Cole「Simba」(2007年)のMVのオマージュでもあります。コートランドアリーは映画やドラマの撮影で使われる機会も多い有名なロケ地で、よく知られているところでは映画『メン・イン・ブラック』(1997年)、最近ではStray Kidsのアルバム『Maxident』(2022年)のトレーラーで使われていました。
Coleがhopeに伝えたこと
j-hopeはJ. Coleとのコラボが実現したことについて、次のようにコメントしています。「正直なところ、まだ非現実的な感じがします。J. Coleのラップを聴くと、彼が自分の人生や本音を伝えるために全身全霊を傾けていることがよくわかります。長い時間をかけて曲を作り上げて、ようやく彼のリリックを聴いたときはとても感動しました」。
このj-hopeのコメント通り、今回J. Coleは会心のラップを披露していると言っていいでしょう。いたってオーソドックスなスタイルのラップではありますが、だからこそ彼の巧さが際立っている印象です。
j-hopeがJ. Coleのラップを聴いて感動したのは、彼が示してきた敬意にColeが正面から応えてくれたからでしょう。特に素晴らしいのが後半のパート。先述した通り、j-hopeは今回の曲を作るにあたって「なにが自分をここまで駆り立てたのか、なにがいまの自分を作ったのか」をずっと考えていたそうですが、J. Coleのラップはある意味その問いに対する彼なりのアンサーとも受け取れます。ここでJ. Coleは、おそらく自分が表現活動を続けるモチベーションについてラップしているのではないでしょうか。
J. Coleのラップの後半の歌詞を要約/意訳すると、まず「You see a top 10 list, I see a Golden Corral」は「お前が眺めてるトップテンリストは俺からすればゴールデンコーラルに見える」。ゴールデンコーラルはアメリカの食べ放題のビュッフェレストランチェーンのことですが、要はよく音楽メディアで企画されるような人気ラッパーのトップテンリストを食べ放題のレストランのメニューになぞらえて、俺はどんなラッパーだろうと食い尽くしてやるとラップしているわけです。
次の「I contemplate if I should wait to hand over the crown〜」は「王冠を譲るのを待つべきかどうか悩んでいる。でも、もう少しだけ粘ってみよう。なにか不思議な空腹感を覚えているんだ」。つまり「自分はラップ界の頂点を極めたからリタイアを考えたこともある。でもトップに立っても満足してもまたハングリーな気持ちが湧き上がってくる」ということなのでしょう。そして、最後の締めくくりのラインは「The more I eat the more it gets stronger, The more it gets stronger」(食べれば食べるほど、より強くなる。もっと強くなっていくんだ)。
この一連の歌詞をまとめると、こんな具合になると思います。「自分はヒップホップの王位に就いたから引退を考えたこともある。だが、時代の移り変わりと共に新しいラッパーが現れてきて、そのたびに競争心を掻き立てられてマイクを握り続けてきた。それをずっと繰り返してきた結果、自分はこんなに強くなれたんだ」。つまりこれは「続けていけばもっと強くなれる」というJ. Coleからj-hopeに捧げたエールなのでしょう。
若きJ. Coleが経験した試練
J. Coleがこれだけj-hopeに対して真摯に向き合っているのは、彼も過去に似たような経験をしているから、自分が崇拝しているラッパーに曲を通じてエールをもらったことがあるからなのかもしれません。
J. Coleは2011年にJAY-Zが立ち上げた「Roc Nation」の第一弾アーティストとして注目を集め、同時期に頭角を現してきたKendrick LamarやDrakeと共に次世代を担う才能として将来を嘱望されていました。彼はもともと硬派なタイプのラッパーだったのですが、JAY-Zにラジオでヘビープレイされるような曲を作らないとアルバムは出せないとプレッシャーをかけられて、不本意ながら売れ線でナンパなラブソング「Work Out」を作りました。
この「Work Out」は見事にアメリカでダブルミリオンの大ヒットを記録しますが、J. Coleを意識の高いラッパーとして期待を寄せていたレジェンドのNASは「お前の才能を認めていたがこの曲は最悪だ」と彼を痛烈に批判。まだデビュー前、自分の部屋の壁にNASの歌詞をプリントして貼っていたほど彼に憧れていたJ. Coleは、NASの厳しい反応に完全に打ちのめされてしまいました。
自分にとって不本意な曲に対するリアクションということで、なおさらショックが大きかったのでしょう。J. Coleはこの一件を受けて、その名も「Let Nas Down」(NASを失望させてしまった)なる曲を制作。「俺はNASを失望させてしまった。自分はまちがっていた。レコード会社のやり方に従うのはもううんざりだ」と悔恨を吐露していく内容は、異色の題材であることも手伝って当時大きな話題を集めたました。
そんなJ. Coleの思いが引き起こした偶然なのか、この曲を作った直後に彼は空港でNASと遭遇。できたばかりの「Let Nas Down」を聴いてもらうとNASはいたく感銘を受け、光栄に感じた彼は急遽アンサーソングとしてJ. Coleに捧ぐ「Made Nas Proud」(俺は誇りに思う)をインターネット上で公開しました。
NASは「Made Nas Proud」を通して、J. Coleにこんなアドバイスを送りました。「確かにラジオヒットは必要かもしれないが、それに流されるな。俺自身、シングルヒットはないが何枚ものプラチナムアルバムを残している。俺はお前に失望なんかしていない。これもひとつの試練なんだ。俺の頭上のこの王冠は、お前にこそふさわしい」
J. Coleは「Made Nas Proud」のNASの教えに従うようにして、2014年にはチャート受けしそうな曲やゲストアーティストを一切排除したストイックな内容のアルバム『2014 Forest Hills Drive』(2014年)をリリース。これがアメリカだけで300万枚を超える大ヒットを記録して、彼は「キング」への足掛かりを築くことになるわけです。J. Coleがj-hopeの思いを汲み取れるのは、こうした経験をしてきたからこそなのでしょう。
「on the street」から広がる未来
J. ColeがNASとの交流を通してかけがえのないものを得たように、今回のColeとのコラボはj-hopeの未来の活動にたくさんのインスピレーションを与えることになるはず。実際、j-hopeは共にラップラインを形成する盟友SUGAのトークコンテンツ『SUCHWITA』の7月18日配信回に出演した際に「on the street」が今後を予感させる体験であったと振り返り、2024年中にドキュメンタリー『Hope On The Street』とその6曲入りのサウンドトラックを発表する構想を明らかにしています。
ドキュメンタリー『Hope On The Street』は世界中のダンサーとの交流を描いた内容になるとのことですが、J. Coleとのコラボで得た成果がフィードバックされることになるであろうサウンドトラックへの期待も大いに高まります。
願わくば「on the street」路線の落ち着いたトーンで統一したまとまった作品を聴いてみたいところではありますが、果たしてj-hopeはどんなサウンドを披露してくれるのでしょうか。4月18日に兵役を履行した彼の除隊は、現状2024年10月17日に予定されています。